空に触れる
低空をゆっくりと飛行するパイパー J-3 カブは、飛ぶとは本来どういうことなのかを思い出させてくれます
レーン ウォレス
現代の航空機に採用されている最新の高度な技術には、語るべき点がたくさんあります。今や小型の単発機でも時速 300 マイルで飛行できるようになりました。ほとんどのパイロットが GPS (全世界測位システム) 受信機と電子式移動マップ ディスプレイを使用しており、航法は、さまざまな針の動きと位置を読み取る大きな精神的疲労を伴う作業から、カラー マップ上をミニチュアの飛行機が進むのを見守るという単純な作業に変わりました。地上局からコックピットに直接送信されるデータから、リアルタイムの気象情報をグラフィック化して表示することもできます。エンジン アナライザ、地形表示装置、機内コンピュータ、そして信頼性の高い自動操縦装置によって、大陸横断飛行も可能なのです。
しかし、こうして技術が自動化されることによって、確実に失われるものがあります。それはゆっくりと消えていくので、その大切さに気づかないのですが、ある朝目覚めてふと、かつて大事にしていたものを失ってしまったと実感するのです。
あるパイロットが私に打ち明けました。「もう飛ぶことが楽しくないんだ。退屈なんだよ。」
飛ぶことが… 退屈? なんということでしょう。
「ちょっとやり方を変えてみたら」私はそう提案しました。彼は戸惑ったようでした。普段はどんな飛行機で、どのように飛行しているのかを聞いてみました。すると、高性能の双発機を所有し、風が操縦に有利な高高度をいつも飛んでいるというのです。
「じゃあ、あなたはいつも、計器飛行のフライト プランで飛行しているのね?」
「そうですよ」と彼はゆっくりと答えました。
「自動操縦は使っているの?」
「もちろん」
「ああ、それが問題なのよ」と私は言いました。「あなたは飛んでいるのではないわ。移動しているだけ。ただじっとシステムを監視しながら、飛行機が目的地に連れて行ってくれるのを待っているだけなのよ。それじゃ退屈なのも無理はないわ。あなたに必要なのは…」と言って私は口ごもり、技術、スピード、自動化によって効率的になる一方で失われてしまった、飛行の楽しさを取り戻すために私が提案できることを必死で考えました。
「あなたに必要なのは…」私の結論はこうでした。「パイパー カブよ」
パイパー J-3 カブは、おそらく軽飛行機の中で最も有名で、最も長い歴史を持つ飛行機でしょう。安価な基礎練習機として設計され、1937 年から 1947 年にかけて 14,000 機以上が生産され販売されるという大成功を収めました。1930 年代の練習機の主流だった、大型の星型エンジンを搭載した複葉機とは対照的に、カブは無駄のないコンパクトでシンプルな飛行機の傑作だったと言えます。 燃料を満載した最大積載時の重量が 1,000 ポンド程度の小型機でした。価格も他の練習機の 4 分の 1 程度に抑えられました。そして何よりも、”シンプル” でした。
カブには、上下 2 枚の翼に筋交いを入れる重量のかさむ構造の代わりに、木と金属による軽量な骨組みを綿布で覆った 1 枚翼が採用されています。燃料計には、太いワイヤをつないだコルクを燃料に浮かべ、そのワイヤの先をエンジン カウリング上の燃料キャップから突き出すしくみが用いられていました。燃料が減っていくにつれてコルクは燃料タンクの底に沈むので、カウリングの上に突き出たワイヤがだんだん短くなるというわけです。着陸装置には、オレオ緩衝支柱ではなく、バンジー コードで衝撃を緩和する方法が採用されました。しくみはシンプルですが、大きなタイヤ、比較的幅広の着陸装置、バンジー コードによる緩衝装置を組み合わせることによって、カブはこれまでになく着陸が容易で、着陸時のショックの少ない尾輪機となったのです。
カブの定員は 2 名で、前後に座席が設けられていますが、あまりに軽量なため、パイロットが 1 人で飛行する場合は、バランスを保つために、機体の重心に近い後ろの座席に座らなければなりませんでした。後ろの操縦席からは計器が見づらいのですが、もともとカブには見るべき計器類が少ないのです。
カブには電気系統もないので、エンジンを始動するにはパイロットが手動でプロペラを回さなければなりません。ちょうど、かつての T 型フォードのエンジンを手動クランクで始動するのと同じです。コックピットでパイロットがマグネトーをオンにしてブレーキを引き、スロットルを開いている間、別の誰かが外に立ってプロペラを回さなければなりませんでした。ほかに人がいない場合は、輪止めをかけるか機体後尾を地面に固定しておき、スロットルをほんの少し開け、プロペラを自分で回してから、飛行機が前進を始める前に輪止めを外すか機体の固定を外してコックピットに飛び乗らなければなりません。
“この時代のパイロットたちは皆、初めての単独飛行は、このやさしく黄色い翼を持つ先生に教わったのです”
このように飛行機の設計はシンプルなものでしたが、カブがパイロットを置き去りにして行ってしまったというエピソードもたくさん残されています。暴走する飛行機を追いかけるパイロットの姿は、まるで『キーストン コップス』 (Keystone Cops) のようなドタバタ喜劇でした。 格納庫に突っ込んだり、ときにはパイロットなしで飛び立ってしまったり、あたりの野原に墜落してしまうようなこともあったかもしれません。
カブの成功の一因は、1939 年に、有事の際に軍に加わるパイロットを育成する目的で米国政府が始めた民間操縦士訓練計画 (CPT) にあります。この計画によって、飛行訓練に新たな資金が投入されることになりましたが、訓練はタンデム機で行うことが求められたのです。航空機メーカーのエアロンカ社とテイラークラフト社は、どちらも小型の訓練機を製造していましたが、並列式の座席を採用していました。一方、カブの座席は縦列式でした。エアロンカ社とテイラークラフト社も前後に並ぶタンデム機を開発しましたが、カブが受注を独占していました。
低速で扱いやすい飛行特性、そしてシンプルなしくみは、たちまちカブを実用的で人気の高い訓練機に仕立て上げました。この時代のパイロットたちは皆、初めての単独飛行は、このやさしく黄色い翼を持つ先生に教わったのです。しかし、時と共に技術は進化し、訓練機の改良も進みました。さまざまな計器類を利用できるようになり、トウ ブレーキや電気系統が飛行機の標準装備となり、尾輪式に代わって、着陸の容易な三輪式着陸装置が採用されていきます。1950 年代の半ばには、セスナ 150 が訓練機市場を独占し、カブは T 型フォードや馬車と同じように、しだいにその存在感を失っていくのです。
しかし、このまま消え去ったわけではありません。カブは、レジャー機として頭角を現し始めます。母親としての日々の責務から解放された女性が、自分自身の欲求のためにダンスを楽しむのと同じように、この飛行機は、純粋に飛行を楽しむことの象徴となりました。なぜなら、カブを操縦することは、あらゆる意味で実用性を捨て去ることだからです。時間やスピードの概念、”目的地に到達しなければ” という焦り、あるいは合理的な輸送といった考えを忘れなければなりません。今日では、こういった役割を果たす、もっと現代的で良い装備の効率的な飛行機がいくらでもあります。カブで空を飛ぶということは、興奮と感動という単純な喜びを思い出すことなのです。慌しい生産性第一の世界の束縛と雑音から逃れて、南国のビーチを裸足で駆け回れば、自分の意識にあるのは足の指の間の柔らかい砂の感触、水しぶき、太陽の温もり、そして頬をなでる海風だけになるように。
私がオハイオ州南部の小さな空港で、初めてそれを発見したのは、操縦を覚えて間もないころです。その飛行場全体が、長年大事に使われてすっかり古びてしまった物たちがひっそりと休んでいるような、楽しい場所でした。1930 年代初めからずっとこの場所で飛行機を作り、飛ばしてきた兄弟が経営していました。木と鉄でできた古い格納庫はまるで宝箱のようで、小型の訓練機から流線形のキャビン型、軍用のクラシック機まで、美しい複葉機やテイルドラッガーがたくさん収められていました。その中で、ひときわ美しくレストアされていたのが、ゴールデン イエローの J-3 カブだったのです。
私が初めて見たカブは、メイン ハンガーの前に広がる芝生に置かれていました。黄色い布製の胴体と翼が、夏の午後の日差しを受けてまばゆく輝いていました。周りをぐるっと歩きながら、その迷いのない単純な線、専用のエンジン カウルから頭を覗かせる黒くて小さなシリンダー、美しくラミネート加工された木製プロペラ、漫画に出てくるような大きくて柔らかいタイヤに私は見とれてしまいました。とても親しみやすい飛行機、私はそう確信しました。小さく、シンプルで、どこか扱いやすそうな外見から、まったく知識がなくても楽に操縦できそうだと思ったのです。
コックピットを覗き込んでいると、後ろからパイロットが近づいてきました。
「本当に単純だろう」彼は言いました。
「すばらしいわ!」私は答えました。
“私たちは低い高度を保ちながら、鮮明で活き活きとした木々のてっぺんをかすめるように野原を飛び回りました。大きく開いた扉からすぐ手が届きそうなほどでした”
パイロットはニッコリと笑いました。古い飛行機へのパイロットの愛着は、なかなか説明しにくいものです。その飛行機は、賞を獲得した美しい展示機かもしれないし、ぼろぼろになった昔からの相棒かもしれません。しかし、遠い昔に組み上げられたマシンのシンプルなラインと優美さには、それを操縦する者の心の奥底に語りかける何かがあります。そして、パイロットにとっては、この説明し得ない美しさを同じように感じ取り、理解を示す人は、すべて友達なのです。それがたとえ今、初めてあいさつを交わしたばかりの間柄であっても。
「1 人で飛んだことはある?」彼が私にたずねました。
私は首を横に振りました。
「じゃ、飛んでみるかい?」
聞くまでもありません。私は彼に教わって扉の下のあぶみ状のステップに足をかけ、コックピットの前のパイプにつかまって、扉越しに前の操縦席に飛び乗りました。私がブレーキを引いている間に彼が手でプロペラを回し、後ろの操縦席にひょいと乗り込んできました。
「外はかなり暑いから、もしよければ扉を開けたままにするけど。いいかな?」
カブにはさまざまな特徴がありますが、この扉こそがその最たるものだと思います。カブには普通の扉と窓ではなく、上下に開く独特の六角形の扉が使われています。上半分が窓になっており、外側に開いて翼の下面と平行まで持ち上げて、止め金具で固定した状態で飛行することもできるのです。さらに、扉の下半分も下に開いて胴体下部にぴったり留めておくことができました。つまり、機体の側面を大きく開けたままにできるのです。この扉と窓を組み合わせたものは、飛行機への乗り降りがその主な用途ですが、飛行中は空の開放感を存分に味わわせてくれます。しかも、開放型コックピットの複葉機と違い、吹き付ける強風と轟音をまともに受けることもありません。
私たちを乗せた飛行機は、ガタゴトと揺れながら飛行場の芝生の滑走路を加速し、時速 40 マイルに達すると静かに浮き上がりました。機体が右に旋回して飛行場から遠ざかっていくときに、私はもっとたくさんの風を呼び込もうと左側の窓を開けました。私たちは低い高度を保ちながら、鮮明で活き活きと見える木々のてっぺんをかすめるように野原を飛び回、大きく開いた扉から、すぐに手が届きそうなほどでした。森林地帯をいくつか過ぎた後、高度を下げ、くねくねと曲がる川をなぞるように飛び、川の流れによってできた渓谷の上で手を振る子供たちに翼を振って応えました。「子供たちがこっちに向かって手を振っているわ!」それは、どんなパイロットも求めてる心温まる体験です。そして、高度や速度をもっと上げていたら、決して得られないものなのです。私は、最初はちょっと微笑んでいただけでしたが、機体を傾け下流に向かって進む間にどんどん楽しい気分になり、大きな笑い声を上げていました。背もたれに寄りかかり、プロペラ後流に手をかざして、腕に当たる風の感覚、地上から漂ってくるかすかな香り、そして、夏の午後の空に舞うこのシンプルで身軽なダンサーの優美な動きを楽しみました。
川を後にして西の農業地帯へと向かう途中、パイロットは私に操縦させてくれました。防音も施されていなければ衝撃吸収装置もなく、進歩した現在の飛行機なら当たり前の自動操縦装置のような技術もないけれど、カブはその大きく開いた扉口と操縦桿を通じて、パイロットに本当の空を感じさせてくれる。私はこのことにすぐに気付き、大きな喜びを覚えました。空からの語りかけに応えるように飛行機は揺れたり、うねったり、急降下したりします。パイロットは、機体と同様に軽い操縦装置を操ってこれに応えます。左手をスロットルに、右手を操縦桿に置き、ラダー ペダルに置いた両足を常に動かしながら、自分が機体と、そして空とも一体となり、自分の意志で動き、踊るように飛行していることに気付いたのです。そうして、いつのまにか私はこの喜びに陶酔し、その楽しさに完全に我を忘れてしまいました。
“この飛行機の非実用性こそが現代のパイロットを虜にしてやまないのです”
カブには不得意なことがたくさんあります。どこへ行くにも時間がかかり、乱気流の中の飛行や横風着陸も難しく、人や荷物は最小限しか運べません。8,000 ~ 9,000 フィート付近までは上昇できますが、そこはカブにふさわしい場所ではありません。カブの魅力は、もっと地上に近いところでこそ発揮されます。カブのシンプルさとゆっくりとしたスピードがあるからこそ、パイロットは、操縦席にゆったりと座って飛行を楽しみ、眼下の過ぎ行く景色を堪能できるのです。
パイパー J-3 カブは、元々実用性を非常に重視した設計だったのかもしれません。しかし、この飛行機の非実用性こそが、現代のパイロットをずっと虜にしてやまない理由なのです。私たちが目標や生産性、忙しいスケジュールばかりにとらわれ、急ぎ足で飛び回るうちに見失ってしまった美しさを、この飛行機は思い起こさせてくれるのです。そして、空を飛ぶことがどんなに楽しいものかを忘れてしまったパイロットにとっても、心の癒しとなってくれます。最新のシステムや技術がなくても、カブはパイロットたちをかつて空へと誘ったあの感動と興奮を呼び起こし、思い出させてくれるのですから。パイパー カブがまだ愛されているとしたら、それは、あてもなく飛ぶ楽しさ、差し出した腕に吹き付けて過ぎてゆく風を感じて上げた笑い声、眼下に見える渓谷から手を振る子供たちの心温まる光景、そして、開け放した扉から手を伸ばして実際に空に触れたときの純粋な、言葉にならない喜びをパイロットに思い出させてくれるからです。